123号

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「世界の国からこんにちは」

 オリンピックを見ていてふと聴きたくなって、聴いている、三波春夫の「世界の国からこんにちは」。オリンピックなら「東京五輪音頭」だろう、とツッコミつつも、なぜか無性にこちらが聴きたくなりました。
 そして、この曲は私にとって、実はヒソカな、泣ける曲です。三波春夫の明るい声に耳を傾けていても、1人でボソボソ歌っていても、何でか鼻の奥がツーンとします。大阪万博のときは、もちろん生まれてもいませんし、太陽の塔と言えば、万博記念公園の太陽の塔ではなく、犬山ラインパークの若い太陽の塔です。それなのに、「世界の国からこんにちは」を聴いたり歌ったりするたび、何ゆえ毎回毎回脈絡もなくこみあげるのか、自分でも不思議です。これが琴線に触れるってことなのね、と思いながら、毎回毎回気持ちよく泣いています。泣いています、とは言うものの、涙まで流して泣く、というのは滅多にないのですが。
 しかし、もう1つ不思議だな、と思うのが、「世界の国からこんにちは」の場合、グッとくるのは、三波春夫自身の歌唱か、その歌唱を思いながら自分で口ずさんでいるときだけなのです。山本正之の「少年の夢は生きている」など、いつどこで誰が歌っているのを聴いてもグッとくる歌とは、この点で違います。そういう意味で、「世界の国からこんにちは」と同じなのが、「カチューシャかわいや わかれのつらさ」の「カチューシャの唄」。大正3年に松井須磨子によって歌われたこの曲を、私が初めて耳にしたのは、大工哲弘の『OKINAWA JINTA』の中ででした。以来、「カチューシャの唄」は、どうしても、大工哲弘のおじいさんぽい、でも意外と若いかもしれないぞ、なあの声じゃないとダメなのです。難儀だな。いやしかし、最初に見たり聴いたりした印象って大事ですよね。


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