123号

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『グリムのような物語 スノウホワイト』

 諸星先生の「グリムのような物語」2冊目の『スノウホワイト』を読みました。
 1冊目は、『トゥルーデおばさん』で、「栞と紙魚子」と同じ朝日ソノラマから出ていますが、2冊目のこちらは東京創元社。推理ものが入っているのは、そのためでしょうか。そういえば、SFな話もあります。

 『グリムのような物語 トゥルーデおばさん』の感想

 ありがたかったのは、巻末の初出一覧に、元となった話も載せられていること。表題作の「トゥルーデおばさん」以外は、全て誰でも知っているようなエピソードばかりだった1冊目と比べて、今回は元ネタに比較的マイナーな話が多かったので。
 さらに、諸星先生による自作解題は、ファンとして、もう単純に嬉しかったです。自作解題の一環のような書き下ろし、「金の鍵」に、『天崩れ落つる日』に収録された、先生ご自身の登場されるナンセンスマンガ群を思い出しました。という訳で、『天崩れ落つる日』も再読。《トーモロコシガホーサクダヨ~》と踊り出したい気分に。ゼピッタシリーズは、この古めかしい雰囲気が逆に良いと思うので、ぜひ再開していただけないだろうか、と今でも思っています。

 さて、『スノウホワイト』。以下、ネタばれありなので追記です。


 内容としましては、頭の「七匹の子やぎ」と、「金の鍵」を除けば尻尾の「とりかえっ子の話」がSF。「スノウホワイト」と「カラバ侯爵」がホラー。
 「奇妙なおよばれ」も、ホラー……かな?グロテスクな話なのに、読み終わった後、なぜかソーセージが食べたくなる不思議な話。

 「小ねずみと小鳥と焼きソーセージ」、「藁と炭とそら豆」には、『私家版鳥類図譜』の「鳥探偵スリーパー」を、「めんどりはなぜ死んだか」には、同じく『私家版鳥類図譜』の「鵬の墜落」を思い出しました。どの辺りが、といえば、「めんどりは~」では動物その他が、「鵬の墜落」では鳥が集まって、司会進行の割と横暴、かつ筋の通らない話し合いをしているところが。
 「コルベス様」の留め針と縫い針は、あまり、こういうことを軽々に言うべきではないのですが、諸星先生にしか描けないキャラクターだ、と思いました。ところで、どちらが留め針でどちらが縫い針なのか、私分かりません。
 「ラプンツェル」は、『トゥルーデおばさん』の「ラプンツェル」の方が、何度も読んで色々な解釈ができる分、元の話の雰囲気に近くて、よく出来ているのではないでしょうか。好みの問題かな?

 「漁師とおかみさんの話」は、諸星先生曰く《あまり大きなアレンジをしなかった作品》とのことですが、元の話では、単に欲張りで横暴な妻、という印象のおかみさんの心理に焦点を当てることで、全く別の話になっていると感じられました。
 元の話が、人間の欲望が限りなく膨らんでいく様に、風刺としての説得力を有しているのに対し、このマンガでは、自分の努力などによらず、突然手に入った財産や地位に、それが本当に自分たちのものであるという実感が持てず、《この城が今にも崩れ落ちてきそうな気がする…》と不安感に苛まれるおかみさんの姿が、非常に現代的な風刺になっているのではないかと。

 そして、『スノウホワイト』1冊を通じての個人的なベストは、「カラバ侯爵」。城の様子といい、猫の設定といい、カラバ侯爵となる前の、いかにもへたれな粉屋の息子といい、オチといい、いかにも諸星先生のマンガ、という感じのマンガだな、と。元々、「長靴を履いた猫」自体、好きな話だ、ということもあります。
 実は、「奇妙なおよばれ」とどちらにしようか迷いましたが、たとえば「奇妙なおよばれ」冒頭の、《とにかくそいつの家ときたら……》のような、童話の地の文的なものに頼らず、絵と台詞だけで全てを処理したところが気に入って、こちらを。
 怖い話なのに、諸星絵の動物(ここでは猫)は、どことなくユーモラス。ラストのコマ、カラバ侯爵となった粉屋の息子の、異様な美しさは、もはや言うまでもありません。本当に、諸星先生の描かれる(以下略)。
 ペローもグリムも大差ないと、日本人の読者もあまり気にはしないのです。


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