123号

『功名が辻』第47回「種崎浜の悲劇」

 史実は難しい、ということ。
 たとえば、このドラマが、まったくのフィクションなら、どうなったでしょう?おそらく、家康により土佐に封ぜられた一豊君は、千代と力を合わせて長宗我部家臣団の人心を掌握、善政により領民の信頼も得て、土佐20万石は安泰、めでたしめでたし…と、もし、私ならばそうしたと思います。少なくとも、今回のようなエピソードは決して入れなかった。
 大河ドラマで、たとえば、秀吉なら朝鮮出兵、信長なら伊勢長島の一向一揆との戦いを見るたび、思い至ります。
 本当に、史実やそれに基づいた小説をベースにしたドラマは難しい。基本的に、「いいもん」であるはずの主人公が、平気で恐ろしいことをしたりする。
 『功名が辻』で、一豊君と千代が土佐に入った後を描こうと思えば、そのあたりの難しさを避けては通れません。実は私、今年度大河は、
 関ヶ原の合戦→一豊君土佐を拝領→土佐入国後のエピソードをナレーションと土佐の海等の映像であっさりと→やはりナレーションのみで一豊君がお亡くなりになったことが語られ→晩年の千代IN京都→完
 だと予想していました。
 原作があるとはいえ、ここをすっ飛ばさなかったドラマ関係者の皆さんの勇気に、まずは敬意です。

 ところで、今回、種崎浜の相撲大会で、一領具足の長たちをおびき出し、まとめて片付けてしまおう、という作戦を立案・実行したのは、前回あたりから引き続き、一豊君ではなく六平太でした。
 《責任者は責任取るためにいる》というのは、『エヴァンゲリオン』の加持さんの台詞でしたか。それを思い出しました。
 直接的に一豊君の案でなく、自分が手を下したんでなくとも、やったことのキツさは変わらない。
 種崎浜の虐殺は、一豊君本人のせいではないですよ、六平太ですよ、ということにして史実は難しいをマイルドに乗り越えていこうとしたならば、それはちょっとアレだな、と思いました。
 もっとも、あの一豊君が、いきなり立案!そして実行!などしたら、それはそれで、もの凄く違和感をおぼえたでしょうから、ドラマとしてはアリです。一豊君の、20万石の領主になっても1人では何もできない感が増幅された、という意味でもアリです。
 それを狙ってこの辺りのシナリオが書かれたとしたら凄い。酔っ払った一豊君が、侍女の皆さんに担がれて運ばれてきたのが、その隠喩だとしたら…考えすぎか?あ、あの担がれ一豊くんは、そのまま「そーれ」って庭の池にでも投げ入れられるとよろしい、と思いました。千代の指示で。

 千代といえば、お亡くなりになった六平太の傍らに千代、そこへ現れる一豊君、というシーンでは、千代が南ちゃんに、一豊君と六平太が、タッちゃんとカッちゃんに見えました。いつ一豊くんが、《キレイな顔してるだろ?》とか言い出すのかと。しかし、部屋に入ってくる順序を考えれば、どちらかといえば、千代がタッちゃん、一豊君が南ちゃんですね。呆然とする一豊君に、千代が、《嘘みたいだろ?死んでるんだぜ》と。いいな、それ。
 千代あるいは一豊君をかばい死にフラグに違いないと確信していた六平太の死にフラグが、まさかアレだったとは…と呆然。何てやわらかい弾丸、プチッとかいって、カプセルみたいに潰れる弾丸…。坂田靖子先生の『時間を我等に』に収録されている、「やわらかい機械」というシリーズがとても好きです。

 ああ、しかし、六平太は最期まで千代に《好きだ》とは言わないで欲しかった。男の恋は、それが叶わぬものならば、秘めてこそ花。
 その点で、新一郎の最期にはグッときました。《殿、お顔を、殿、お声を聞きたい…》。ゆわあ。譜代の家臣の底力を見せていただきました。また、ここで看取るのが六平太というのが、もうね…。先週の放送から、一豊君と千代と六平太で煮え煮えになった頭に、新一郎まで加わってもう大変。
 友人と電話で話し、妄想をヒートさせながら、オタクで助かった、と思いました。予想以上にキツイ回でした。種崎浜のアレは、ドラマとして見れば、非道いことこの上なしなんだけれど、前半の家康とのやり取りを踏まえて、山内家の安泰を考えれば、とりあえず結果オーライであるところが尚更に。

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