123号

僕のおじさん 私のおばさん

 《からだが こころのように 自由に動けば どこへでも いけるよ》というフレーズが頭に浮かび、何だったっけ?何だったっけ?と悩むこと数分、吉本ばななの『哀しい予感』(角川文庫)の解説で引かれていた、原マスミの「飛龍頭」という詩の一節でした。
 この詩が収められた『トロイの月』という詩集は角川文庫。早速、角川のサイトへ行って調べてみたところ、やはりというか、絶版のようでした。15年以上前の詩集だもんなあ、当然だよなあ、とガッカリしつつ、市の図書館のサイトで検索してみたところ、おお、市内に所蔵している図書館があるもよう。良かった良かった。本日の閉館時間には間に合わないので、来週借りてこようと思います。

 『哀しい予感』は、好きな話です。何度も色んなところで言っていますが、文庫版加筆の、
 《わかんないままの方がいいことなんて、何もないわ。心からそう思う。》
という主人公、弥生の台詞はもちろん、最初の方の、ゆきのと弥生がゆきのの家で2人で過ごしている様子がとても好き。
 どことなく浮世ばなれしつつ世間ずれしたおじさんおばさん(この場合、血のつながりは必須ではない)と、少年少女という組み合わせで展開される物語の心地よさというのは、何なんでしょう?
 映画なら、先日DVDを購入した『イブラヒムおじさんとコーランの花たち』、マンガなら、『叔父様は死の迷惑』(坂田靖子)。他にもたくさんありそうです。
 友人から見なさい見なさいと言われつつ、結局観に行くことのできなかった『時かけ』のアニメ映画も、そんな感じなのでしょうか。
 『ぼのぼの』のぼのぼのとスナドリネコさんの関係も、秀でておじさん的。しかし、あれは、すでに実の父がおじさん的でありますね。
《ぼの、そ、れはい、けない、よ》
 ジャック・タチのユロ氏を頂点とする、おじさん・おばさんワールド。
 しかし、昨今の犯罪事情は、そんな、おじ・おばワールド愛好者の敵でもあります。良くない。本当に良くない。



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