123号

ピーターラビット展

11月5日まで名古屋市博物館で開催されていた、ピーターラビット展に行ってきました。

地元の図書館でもらったチラシの、「あいにきたよ。」というコピーと、『ベンジャミンバニーのおはなし』で、マグレガーさんの畑から盗んだ玉ねぎを持って歩いている場面のピーターの心細そうな様子にグッときて、ずっと行きたい行きたいと思っていたのが、気がつけば終了が迫っていたので、あわてて行ってきました。
博物館の駐車場で母から電話があったので出て、いまピーターラビット展に来ているよ、と言うと、自分も行きたかったけれど、タイミングを外してまだ行けていない、今から行くから待ってて、とのことだったので、博物館の庭(シリーズに登場する動物たちのパネルが飾られている)など見て待っていると、30分ほどで母がやって来ました。
母早い。

チケットは私が買っていたので、音声ガイドは私が借りるわ、と母が二人分借りてくれたため、ディーン・フジオカさんのそれはそれは甘い英語を聞きながら回りました。
ところで、このディーン・フジオカさんの音声ガイド、本当に声が甘くて甘くて、英語の発音があまりに流暢で、かっこいいものって、どうして限度をこえると突然おもしろくなっちゃうのか。

娘を抱っこしながらだったので、あまりゆっくりはできませんでしたが、ビアトリクス・ポターが最初に私家版として出版した『ピーターラビットのおはなし』の原画を見られて、満足でした。
ピーターラビットといえば、お父さんはマグレガーさんの奥さんに肉のパイにされたでおなじみですが、いま私の手元にあるような『ピーターラビットのおはなし』より、ページ数の多い私家版の方では、マグレガーさんの奥さんがピーターのお父さんを今まさに肉のパイにしている場面なども描かれていて、挿絵が白黒で良かったなと思いました。

おもしろかったのは、明治時代にピーターラビットが初めて日本で紹介されたときの訳で、本家の絵を模写したと思しき挿絵の横に、四匹の子ウサギがお母さんと暮らしていました、名前を、太郎、次郎、三郎、ピータ郎といいました(原文うろおぼえ)と日本語訳が…。
ピーターの姉妹であるところの、フロプシー、モプシー、カトンテールが、太郎、次郎、三郎にされているのもさりながら、ピータ郎。
しかし、ピータ郎…確実に無許可だと思うけれど、何度か聞くうちに、これはこれでありなネーミングだと思えてくるピータ郎。
ところで、ピーターの姉妹のうちの一人、フロプシーは、後に従兄のベンジャミンバニーと結婚するんですが、太郎が…と考えると、思わずニッコリしてしまいます。

ベンジャミンバニーといえば、この記事の頭でも書いたとおり、『ベンジャミンバニーのおはなし』で、ベンジャミンは、従弟のピーターを誘って、『ピーターラビットのおはなし』で、ピーターがマグレガーさんの畑でなくした上着と靴を取り返しに行き、ついでに叔母さん(ピーターのお母さん)へのおみやげとして、玉ねぎを持って帰るんですが、ウサギは玉ねぎ食べたらダメなのよ…といつも読むたびドキドキします。
今、手元にあるウサギの飼育書を見たら、「長ネギ、玉ネギなどは、赤血球を破壊して溶血性貧血を引き起こし、中毒症状が現れます」とあってこわい。
むしろ、ヒトが玉ねぎ食べて平気でいられるのが不思議。
犬や猫もダメだった気がする…。
いや、でも、ピーターのお母さんは、せんじぐすりを作っているから、その材料かも。
薬の材料として、少量なら大丈夫なのかも…でも心配だ。

物販で、うちのウサギへのおみやげに、『こわいわるいうさぎのおはなし』を買いました。
毛の色こそ違え、お前にそっくりだよ、と。


こわいわるいうさぎのおはなし

ビアトリクス・ポター 『こわいわるいうさぎのおはなし』

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みどりちゃんの最期のこと

昨日も書いたとおり、昨年の3月に、小鳥のみどりちゃんが天国へと旅立ちました。
6歳半でした。
病気でも事故でもなく、ただ老化。
この下に、そのときのことを書きます。
悲しい話だし、というか、悲しみに浸る私がうっとうしいことこの上ないので、ダメだ、と思ったら、途中で読むのを止めてください。
長いです。

推定一歳半でうちに来たみどりちゃんが、5歳を過ぎた冬でしょうか、何となく弱ってきました。
一分の隙もないほどみっしり生えていた羽毛が徐々に減り、体表につやもなくなってきました。
寒さがこたえる様子が見てとれて、部屋の暖房は一日中。
ペット用のヒーターも大きいものに変えました。
それでも、春になると徐々に元気を取り戻し、無事に6歳のお誕生日も祝え、ホッとしたのも束の間。
みどりちゃんが卵を産みました。
飼鳥が産卵するのは、夏の暑さが落ち着いた秋からが一般的です。
秋から冬にかけて、有精卵無精卵問わず断続的に卵を産み、メスはどんどん弱っていきます。
抱卵も体力を使うし、卵づまりだってこわい。
メスはオスより早く死ぬことが多く、だから、私は、みどりちゃんに産卵して欲しくなかった。
でも産んだ。
しかも、例年よりも早く。
場所はエサ入れでした。
壺巣も鏡も鳥の置物も、みどりちゃんが発情しそうなものは、みんな片づけたのに、とガックリしました。
でも本能。
みどりちゃんにとって、冬に向けて体力を温存させておくより、産卵の方が大事だったのなら、仕方がない。
しかし、こんなに本能がナニなら、やっぱり一度くらい、みどりちゃんに繁殖させるべきだったか、と卵を抱くみどりちゃんの血走った目(に見える表情)を見て、今更ながらに後悔しました。
しかし、アレだったのよ、みどりちゃん。
卵を産んでも、二、三日で飽きて巣から蹴り落して割っちゃう貴女に、とても子育ては無理だと思ったのよ。
でも、何というか、それも、こっちの勝手な思いこみだったのかもしれないね。
ごめんよ、みどりちゃん。
本当に今更だけど。

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みどりちゃんは、12月の頭に二度目、クリスマスに三度目の卵を産みました。
そして、ヨタヨタになりました。
それまで住んでいた大きなケージでは、止まり木を飛び移る際に落ちてケガでもしかねない、と移動用に使っていた小さなケージへお引越し。
年が明けると、その小さなケージの中でもエサ入れや水入れにジャンプして移るのが難しくなったので、厚紙で床を上げ底にリフォームしました。
大きなケージでも使っていた大きなヒーターと、足元に爬虫類用のあったかシート、ずっと暖房を入れているので、二年ほど前から一緒に住み始めた、ウサギのおはぎは快適そうでした。
すっかりボソボソになった羽をふくらませて、みどりちゃんは一日中、うつらうつらとしていました。

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今でも悔やまれるのは、亡くなるとき、そばにいてやれなかったことです。
3月15日でした。
冬が終わる、春が来て暖かくなったら、もう一年生きられるだろう。
9月には、みどりちゃんの推定お誕生日が来るから、そうしたら7歳だ。
今年は介護の年になるだろうから、そんなに出かけられないね。
そんなことを家族で話していました。
3月15日はウィークデーで、私は普通に仕事に行きました。
いってきます、と言ったとき、みどりちゃんはエサ入れの中にいて、よく食べるね、今日は食欲があるね、とか何とか、そんなような声をかけたような記憶があります。
顔は見なかった。
あわただしく出かけて、仕事中はみどりちゃんのことを忘れて、駅で電車をおりたとき、風がつめたかったので、みどりちゃん大丈夫かな、と思った。
でもまあ大丈夫だろう。
昨日も一昨日も大丈夫だったし。
その頃撮った写真を見ると、みどりちゃんはもう可哀そうなくらいボロボロになっていて、それでもまさか、私は死ぬなんて思っていなかった。
ボロボロのまま、まだ生きるだろう。
あと半年、次の冬まで、もしかしたら次の冬が過ぎて春になって、まだ、ずっと私のそばにいてくれるだろう。
急ぎ足になるのは何だか不吉な気がして、それでも夕飯の買い物は中止にして、一体、どこで虫の知らせが来たんだろう。
ただいま、と帰ると、みどりちゃんが、ケージの隅で小さくなっていました。
眠っているのかな、と思いました。
そっと近づいて、目をこらして、いつもどおり、羽毛が呼吸でかすかに動いているか確認して。
動いていませんでした。
こういうとき、人は本当に膝をつくんだ、と思いました。
しばらく、そのままへたりこんでいました。
みどりちゃん、と言葉の一つも出ませんでした。
背後で生き物の気配がしました。
ハッとして振り向くと、ウサギのおはぎが、犬のお座りのような姿勢で、こちらを見ていました。

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のろのろと立ち上がって、おはぎの方に近づき、ペレットを少しやりました。
これは、いつも帰宅するとすぐにもらえる、おはぎのおやつ。
だから、おはぎは、おやつが欲しくてそのときだけ座っていたのかもしれませんが、私は何となく、たぶん、自分が許されたくて、おはぎが、みどりちゃんを看取ってくれたような気がしました。
「おねえちゃんのそばにいてくれたの」
そう言いながら、ペレットを食べるおはぎの頭をなでていると、涙がこぼれてきました。
みどりちゃんは、もういない。
それが決定的になるのがこわくて、振り向くことはできませんでした。
みどりちゃんの方を向かないまま、床に落としたかばんを探って、携帯電話を取り出し、夫にメールを打ちました。
すぐに帰る、と返信がありました。
私は、またのろのろと立ち上がり、台所の方へ行きました。
きれいな箱はなかっただろうか、とあちこち探し、ピンク色の桜の花の、お菓子の箱を見つけました。
私の手の平を広げたくらいの大きさで、サイズもちょうどいい。
残っていたみどりちゃんのエサを、箱の中に全部あけました。
誰かの結婚式のときにもらった、花模様の布のナフキンがあったので、四つ折りにして、その上に敷きました。
ふちがレース様にパイピングされているのがきれいなので、それが見えるように。
それから、真ん中に指でくぼみをつけました。
ひなまつりのお花が少し残っていたので、ピンクと白のスイートピーをむしって入れました。
「パパが帰ってくる前に、きれいにしてあげなくちゃね」
つぶやいて立ち上がると、お腹がきりきりと痛みました。
おそるおそるケージの扉を開け、そっと、みどりちゃんに触れました。
冷たくなっていました。
もちろんショックで、でも、ほんの少し、ああこれは何時間も経っている、急いで帰っても間に合わなかったな、と思いました。
ホッとしてしまう、自分が嫌でした。
とにかく、こんなときなのに、私は何かに許されたく、それが嫌でたまらなかった。
ごめんねごめんねごめんね、と念仏のようにくり返しながら、みどりちゃんを手の平にのせ、しばらく握っていました。
指で背中をさすると硬く、下から見ると排泄物があったので、お湯で濡らしたティッシュで、お尻の周りを拭きました。
もう一枚ティッシュを濡らして、顔周りも拭きました。
ふと、部屋に音がないのに耐えられなくなり、テレビをつけると、夕方の情報番組ばかりで、みどりちゃんはうるさいのが嫌いだったね、と消して、でも、また耐えられなくなりテレビをつけて、ザッピングして消して、とその間、片手にはみどりちゃんを握ったままでした。
たぶん、このときはあまり正気じゃなかった。
けれど、そんなことをしているうちに、多少は落ち着いてきたので、台所へ行って、用意した箱の中に、みどりちゃんを寝かせました。
そのまま、箱を抱いてぼんやりしていると、夫が帰ってきました。
花を買ってきてくれたので、それも入れて、大好きだった粟の穂をくちばしの当たる位置に並べました。
そうして飾ると、眠っているようだったみどりちゃんは、もうどこをどうやっても生きているものには見えなくて、二人で泣きました。

人間のように遇されて、自分でも鳥のつもりはなかっただろうから、人間のように送ろう。
相談して、決めました。
そうと決まると、ただ泣いているわけにはいかなくて、居間の私の机の上を片づけて、みどりちゃんを落ち着けて、その後はお墓を探しました。
そういえば、あの日、晩ごはんを食べた記憶がない。
でも、私のことだから、きっと何か食べたんでしょう。
みどりちゃんを任せるのに、滅多なところではいけません。
ネットで検索したり、人に聞いたりして、最終的に市内で動物の供養を昔からやっているお寺に決めました。
問い合わせすると、予約はいらないと言われました。
みどりちゃんが亡くなった週の日曜日、お寺へ行ってお葬式をしました。
元々は土曜日にするつもりだったのが、もう一日みどりちゃんと一緒にいたいと日延べして、日曜日。
週をまたいだら、もうダメだ、ずっとここに置いてしまう、と決心して日曜日。
受付で並んでいると、他にもお葬式を待っている人たちが何組かいました。
みんな世界の終わりのような顔をして俯いて、気の毒に…いや私も同じだな、と思いました。
犬と思しき大きな箱や、もう少し小さな箱。
きれいな布をかけられて、次々に呼ばれていきます。
棺は持ち込みで大丈夫とのことだったので、みどりちゃんは、お菓子の入っていた小さな箱のまま。
お寺の方でも花を用意してくれていたので、せっかくだから、といただきました。
花にうずもれたみどりちゃんは、もう全く生きているようには見えないのに、まるで眠っているようでした。
係の人に呼ばれて、一番奥の部屋に入ると、すぐにお坊さんがみえました。
お顔を見せてください、と言われて、蓋を開けると、きれいな顔をしていますね、とおっしゃいました。
苦しまずに亡くなったのですね、と言われたので、はい寿命だと思います、でも、死ぬときは留守にしていたので、苦しまなかったのかどうかは分かりません、と答えたら、苦しみませんでしたよ、ときっぱり言われて、私は、初めて会う、たぶんここでご一緒するだけのお坊さんなのに、もしかすると、そう言うのがお約束なだけなのかもしれないのに、顔を上げてありがとうございますと言って、横を見たら、夫も同じ顔をしていました。
人が宗教に走るのはこういうときだろうな、と頭の片隅でぼんやり思いながら、何だかもう本当にありがたかった。
あんなに愛したみどりちゃんが死んだのに、自分が許されることばかり考えているなんて、と頭の更に片隅で自責しながら、でもありがたかった。
純粋な悲しみでいっぱいになれたら、どんなにいいか。
でも、私にそれは無理なのよ。
みどりちゃん、ごめんね、色んな意味でごめんね、ごめんね、とお経をあげてもらっている間中、心の中で詫びていました。

火葬が終わると、みどりちゃんは、ほんの一握り…一握りもないほどの小さな白い骨になっていました。
頭だけが辛うじて分かって、図鑑で見る鳥の頭蓋骨そのままの形をしているのが、小さくともさすがみどりちゃん、という感じでした。
骨はお寺であずかってもらうことに決めていました。
斎場の二階には、ずらっと動物の骨壺が置かれた棚が、まるで図書館のように並んでいます。
犬や猫のそばだとこわいかも、とインコの写真が飾られている後ろに、みどりちゃんの骨壺を置きました。
ただ、みどりちゃんは鳥が好きじゃなかったので、不満かもしれません。
特にカラスが嫌いで、家の外で鳴いているやつはもちろん、テレビから聞こえてくるカラスの声にも激怒していました。
大河ドラマ『平清盛』のときは特にひどくて、都でやたらとカラスが鳴くものだから、日曜の8時は、みどりちゃんを落ち着かせるために、よくケージに布をかけていました。
そんな頃もあった。
骨壺が並ぶ部屋には、自由に出入りできるらしく、亡くなった自分のペットに会いにきている人が大勢いました。
長い時間そこにいて、また来るね、と何度も言って帰りました。

それから、一年と半年経ちました。
私たちは今も時々、二、三か月に一度くらいの頻度で、みどりちゃんに会いに行きます。
初盆には、みどりちゃんをかわいがってくれた、うちの母にも来てもらいました。
お経をあげてもらい、骨壺を抱き、なで、里帰りもさせました。
母は、亡くなった後もこんなにされて、みどりちゃんは幸せだ、と言ってくれました。
とても嬉しく、私は、また少し許されたような気分になりました。
ただ、その一方で、みどりちゃんが幸せだったかは、本当のところ、みどりちゃんにしか分からない、とも思います。

本当は、ヒナの産まれる卵を抱きたかったかもしれない。
本当は、最期まで大きなケージで、広々と過ごしたかったかもしれない。
本当は、みんなに見守られて死にたかったかもしれない。
本当は、籠の鳥でいたくなかったかもしれない。

ただ、言えるのは、少なくとも私は、みどりちゃんと一緒にいられて良かった、幸せだった、とここでも自分のことだけです。

みどりちゃんが亡くなって半年くらい経った頃、たぶんお彼岸だったと思うのですが、夫と連れ立って、お寺に行きました。
みどりちゃんのいる部屋の、入口に近い棚の前に、若い男の子が立っていました。
長い時間、うなだれながら、ずっと骨壺をなでているようでした。
帰りしなチラッとみると、彼がなでている骨壺には、まだ新しいマルチーズの写真が貼られていました。
みどりちゃんを飼い始めたばかりの頃、うちの兄に、世界一かわいい小鳥、とみどりちゃんを紹介すると、普通の鳥だな、と言われました。
そのときは大層憤慨しましたが、今思うと、確かにみどりちゃんは普通の鳥でした。
ごく普通の小鳥。
ごく薄い茶色がかった白い羽と、朱色のくちばしを持った、1980円のキンカチョウ。
でも私にとっては、世界で一番かわいくて、世界で一番大切な小鳥でした。
そして、それはたぶん、あの男の子にとってのマルチーズもそうなんだろうな、と思いました。

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クリスマスに卵を産む直前のみどりちゃん。
完全に弱る前で、まだ大きなケージで暮らしていました。
お目めもぱっちり。

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こちらは最近のおはぎ。
これもまた特別なウサギ。
ただし乱暴者です。


キャスバル兄さん!

ちょっと汚い話があるので注意ですよ。
いや、私はあの子のアレを汚いなんて、ちっとも思っちゃいませんが、趣味の違う方がいらしたら、念のため。


今年のゴールデンウィークはお休みがとびとびだったため、広島には行かずほとんど自宅にいました。
伊吹山に登ったり、観葉植物を買うために園芸センター的なところを方々回ったり、割とナチュラル気取った休日を過ごせたと思います。
観葉植物は、いろいろ迷った結果、フィカス・アルテーシマというゴムの木を買いました。
高さは120~130センチくらい。
小学校低学年の身長くらいか、と思うと嬉しいです。
しかし、フィカス・アルテーシマという名前は、どうにも覚えにくい。
フィカス・アルテーシマ、フィカス・アルテーシマと何度復唱しても、セイラさんの本名にじゃまされて、フィカス・アルテイシアと言ってしまいます。
……キャスバル兄さん!

ところで、観葉植物の鉢は、みどりちゃん(小鳥)のカゴの隣に置いたんですが、例によって新しいものに対する警戒心の半端ないみどりちゃんがパニックになりました。
カゴの外に逃げ出して、うちに来たばかりの頃はよく落ちていたけれど、最近は滅多に落ちなかったテレビ台に落ちて、大丈夫?とのぞきこんだら、震えながらこちらを見上げたみどりちゃん。
……もらしていらっしゃいました。
みどりちゃんのおもらし!かわいい!これは記録しておかねば!と思わずデジカメを手に取って、かまえたところで、人間の心をはたと取り戻し、救出しました。
危ないところでした(いろんな意味で)。

気をつかいます

『ペット大行進ど~ぶつくん』の動物の赤ちゃんが大集合するスペシャル、いま見ています。
録画したのを見ています。
かわいいかわいいと悶えながら。
私たちが自分以外のものにかわいいを連発するのを見せては、みどりちゃん(小鳥)がかわいそうなので、みどりちゃんが寝室に行くのを待って、いま見ています。
洗われるコーギーとマルチーズの赤ちゃんが、今のところベストかわいい。
いや、皆かわいいんですが。

名誉の負傷

みどりちゃん(小鳥)の小さなお口には大きすぎるペレットやボレー粉や栄養補助食を、すり鉢でゴリゴリゴリゴリ擦っていたら、右手のまん中に豆ができていました。
そして、夢中になっていたため、豆ができたことに気づかず、なおも執拗にゴリゴリゴリゴリやっていたら、つぶれていました。
いま気がついた。
気づくと痛くなりますね、こういうのは。
痛いけれど、愛ゆえの負傷だと思うと、ちょっとときめいたりもして。