123号

『おんな城主 直虎』の最終回見ました。

大河ドラマ『おんな城主 直虎』の、最終回を見ました。
おもしろかった。
去年の『真田丸』がとても良かったので、今年は始まるまで実は期待していなかったのですよ。
自分好みの作品が連続して放映されることって、あんまりないというのが、これまで大河を見てきた実感なので。
静岡県西部が主な舞台になるから、母(浜松出身)が喜んで見てくれるといいなあ、くらいの期待値で、今年はしゃがむ年!くらいに思っていました。
それがもう、始まったら、これが。
高速でてのひらを返しました。

特に楽しかったのが、中盤の、直虎が井伊谷の領主として奮闘するあたり。
逃散した百姓たちを呼び戻し、徳政を拒否して土地に定着させ、更に領国外から新たな人の流入をはかり、当時の新興産業だった綿花の栽培に着手し、販売ルート確保のため、貿易の可能性を探り、井伊家を立て直していく様が、実に痛快でした。
その一方で、今川家や徳川家といった戦国有名どころとの緊張感あふれる外交(ひとつ間違えたらすぐ死ぬ)。
やがて井伊が滅ぶきっかけとなったのが、この時期に、ワーッと勢いよく突っ走る過程で、振り返りもしなかった、隣の領主(近藤さん)との軋轢というのも苦くて良かったです。
個人的に、政次がああいう風に死んだのは、もちろん殉教者的悲劇ではあるんだけれど、直虎時代に相手のメンツを何度もつぶしてきたという意味では、明らかに因果応報なので、近藤さん憎しとは思わなかった(近藤さん自身も後に報いを受けるし)。

ああ、でもとにかく、一年楽しかった。
キャラクターも皆魅力的で、正直、来年このままのメンバーで『井伊直政』が見たいくらい。
それかスピンオフ。
もうストーリーなんてあってなきが如しの日常を描くだけでいいんで、龍潭寺を舞台に、直虎や和尚様や傑山さんや昊天さんや猫があれやこれやで、方休や之の字や六佐や村の衆やしのさんやあやめさんやなつさんが事件を持ち込んだり巻き込まれたり、たまに直親のことを思い出したり、政次のことを思い出したり、頭が神出鬼没したり、高瀬は近藤殿のところで働いているのがちょいちょい出て、時どき、万千代から手紙が来るので、徳川家にカメラが移って、もちろん氏真もいる。
そんなスピンオフが見たい。
まだ、この人たちとお別れするのが辛い。
そんな風に思わせてくれる作品でした。

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龍潭寺に行ってきました

土曜日に浜松へ行って、大河ドラマ『おんな城主 直虎』の舞台でもある龍潭寺を観てきました。
他の用事もあったので、大河ドラマ館の方は、今回はおあずけ。
でも、帰りに気賀(大河ドラマ館は気賀にある)を車で通りながら、ここが気賀か、浜名湖に近いね、などと。
龍潭寺に着いたのは、昼の3時も過ぎた頃でしたが、まあ人が多かった。
駐車場にも、観光バスがいっぱい。
井伊家代々の位牌が並んでいる御霊屋の前は、階段が狭くて一人ずつしかのぼれないこともあって、行列ができているほどでした。
うちの母が近くの出身で、昔から何度もこの辺りには来ているけれど、こんなに人がいるのは初めて、と驚いていました。
龍潭寺の裏手にある井伊谷宮も、こんなきれいじゃなかった、もっとボロボロだった、とのこと。
こんな風に整備されたのも、大河ドラマになって、全国から人が大勢来てくれるおかげだ、と喜んでいました。

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直虎カレー買いました。
薬膳カレーがとにかく好きです。
浜松の有名なシェフが監修されていますが、私の頭の中では、昊天さんが作ってくれたものと。
昊天さんが作ってくれて、人間の和尚が持ってきてくれたものを、傑山さんに見守られながら、次郎ちゃんと一緒に食べる。
もちろん、ちぐらの中には、猫の方の和尚もいる。
そんな龍潭寺。
そんな龍潭寺の日常を、穏やかに描くだけのスピンオフを、作ってくれても、いいんですよ?(次郎の修業時代がもっと見たかった)
あと、写真撮り忘れましたが、「直虎乃こころ」という、キューブ状にパッケージされた米も一緒に買いました。
昨日、早速その米を炊いて、大河を見ながらカレーを食べました。

ところで、『おんな城主 直虎』ですが、毎週楽しく見ているのですが、ここ最近、直虎が井伊家をつぶしてからの展開に、ちょっと割り切れないところがあって、有体にいうとモヤモヤしていて、直政の出世物語も、まあいいことはいいんだけど、これじゃあ半年以上、直虎が主人公をやってきた理由というか、彼女の人生が、結局意味なんてありませんでした、おしまい、みたいで何にも決着がついていないのに、主人公が交代しちゃったみたいで、それはどうなのよ、と思っていたのが、46回の「悪女について」で、ようやくスッキリしました。
直虎が、政次や、その前にも井伊のためにと死んでいった人たちについて、ようやく本音を吐いた。
直政が、なぜ直虎が井伊をつぶし、その復活をのぞまないのか、ようやく理解した。
彼女の傷は深く、怒りは激しく、深く激しいからこそ、ずっと表に出すことはできなかった。
作中長い時間が流れ、ドラマの回数も多くを費やし、瀬名さんの命の危機という緊急事態をもって、ようやく外に出すことができた。
この長いモヤモヤにつきあって、ドラマを見てきてよかったです。
主人公は交代していなかった、長く不在で、そして帰ってきたんだ、と私は思いました。

ところで、『直虎』を表す四字熟語は、まず間違いなく「因果応報」だと思うのですが、このドラマの信康事件の顛末だと、本能寺の変で信長が死ぬけど、嫡男の信忠も死んで、織田の天下が潰えるっていうのが、応報になるのかしら、とワクワクしています。
そうすると、嫡男の母親じゃないけど、正室の死ってことで、濃姫も本能寺で死ぬのかな、「あの世で会おうと仰せになれども、殿は地獄、私は極楽、これでは死に別れにございます」かな。
『功名が辻』の和久井濃姫が、かっこ良くて好きだったのですよ。
今のところ、信忠も濃姫も登場していないので、頭の中で補完しておきます。

グランスピアー

今日から東海テレビで始まった特撮『黄金鯱伝説グランスピアー』を見ました。

『黄金鯱伝説 グランスピアー』

変身のかけ声が、「まーかん!」なのが大変たのしい。

名古屋のローカルヒーロー……なので、もう当然のように城がモチーフです。
それなのに、第1話の眼目が、名古屋城の金シャチはダミーで、本物は清州にある……でいいのか?いいんだろうな。

世界を征服する力だったか、転覆する力だったかを持つ覇導石を徳川家康が8つの金シャチで封印したため、妖神オソガイが、3人の怪人を使って金シャチを狙うも、代々金シャチの封印を守ってきた家の息子が、海神トリトンの命を受けてグランスピアーに変身、オソガイの野望をくじく……!というのが、『グランスピアー』のあらすじだと思いますが、採石場で火薬をばんばん使う戦闘シーンといい、3人の怪人のコミカルなやりとりといい、そのうちの一人で、唯一の女性怪人のちょっとしたお色気といい、何とも懐かしい特撮でいいなあ、と思いました。

放送が東海テレビなので、東海ラジオの大スター・宮地佑紀生が主人公のおじいちゃん役で出ているのも、リスナーには嬉しいところ。
しかし、宮地さんが大学生の「おじいちゃん」役というのに、ちょっとショックを受けました。
おじいちゃん……お父さんじゃないんだ。
そんな年か?と思って、今調べたら1949年生まれで、やっぱりちょっと若いおじいちゃんでした、良かった。

ところで、主人公にグランスピアーへ変身する力を与える神様がトリトンなのは、どうしてなんでしょうか?
シャチ=海にいるものだから、のトリトン?(だったらむしろポセイドンじゃないのか?)
それとも、まさかの名港トリトン?

眼福

一つ下の記事に書いた本に触発されて、『平清盛』の録画を見返しています、いま。
主に『清盛』の後半を見ているんですが、本放送のときには、何だかそれどころじゃなくて、あんまり気づきませんでしたが、改めて見ると、このドラマ、びっくりするほどイケメン祭りだったんですね。
次から次へと、それはもうきれいな男の子ばかりが現れる。
個人的には、最終回の清盛in西行と対面する頼朝、義経の最期、子兎丸の船出が何と言うか……。
ほぼ涎出る感じで、ポカーンと口開けて見ておりました。

『平清盛』 見てます

今。
18時からBSで見て、今、二度目の視聴中。
壇ノ浦、と言われると、高山樗牛の『平家雑感』は、
「願はくは源氏となりて興らむよりは、むしろ平家となりて亡びなむ」
が思い出されます。
その年の大河ドラマが気に入ると、一年通して、関連する色々な本など読む機会が増えます。
いいこと、というか、大河にまつわる楽しみの大きな一つです。
『平清盛』は、特に、そういう楽しみに繋がるフックが、たくさん仕掛けられていました。
私は、心の内でひそかに、レファレンス大河と呼んでいたほどです。
重盛の「疾ク死ナバヤ」のおかげで、最近は、『愚管抄』にもチャレンジしましたよ……挫折しましたが。
そして、そういう中で、『「落人伝説」を読む』という新書も読みました。
おもしろかった。
著者が、ざっくり言うと失礼ながらおじいちゃんなので、今日びの子供たちには、「宇宙戦士ガンダムなどが英雄らしいが」などと書いているところがほほえましい。
清盛が常盤御前を、勝者によるサディスティックな獣欲の餌食にする場面には、筆が踊ってしまうところも、ある意味ほほえま……しいか?
とにかく、その中で、著者の小中学生の頃(昭和のはじめ)、壇ノ浦のクライマックスであるところの平家一門の入水について、
「このとき、清盛の妻、二位の尼が、おそれおおくも幼帝をお抱き申しあげ『波の底にも都ぞ候ふぞ』と船ばたから身を躍らせた。かしこくも、一天万乗の君を己ら一族の道づれになしたてまつった、その不忠は筆舌に尽くしがたい」
と国語の先生から教えられた、と書いてあるのを読んで、これか!と膝を打ちました。
『平清盛』について、悪役のイメージのある平家を~と様々なところで書かれたり言われたりしていても、これまで、どうもピンと来なかったのが、そうか、確かにはっきりと平家が悪だったときがあったのだな、と。
しかし、まさかそこだとは思ってもみなかった、昭和50年代生まれ、不覚。

ところで、『平清盛』の最終回は、ほとんど頼朝のナレーション祭りの様相を呈していますが、「私は弟の屍の上に~」は良かったな、グッときました。
この調子で、できれば、ストーリーガイドには書かれていた、鎌倉幕府の滅亡についても一言ナレーションで入れてほしかった、頼朝が死んでいきなり室町幕府に飛んだから、一瞬、え?ってなりました。
最後の最後が、「平清盛なくして武士の世は、なかった」だったのは、ちょっと前にいろいろうだうだ書いた身として震えました。
やっぱり?やっぱり?そうよね、という感じで、先ほど西行が変身した幻の清盛と対面した頼朝の瞳がキラキラしていたのと合わせて、公式サイトでのクランクアップ時の頼朝のコメントも合わせて、ノーベル親子賞を差し上げたい。
しかし、公式サイトでのクランクアップ時の~と言えば、重盛のコメントも捨てがたい。
実の息子やはり強し、という感じで。
そういえば、ネットをうろうろしていたら、あの「疾ク死ナバヤ」について、重盛は父親に甘えていたんじゃないだろうか、とツイッターに書いていらっしゃる方がいて、親子に関しては珍しく、負けた!と思いました。
すばらしい解釈です。
アカデミー助演親子賞もの。
しかし、『平清盛』には、一年とおして、様々な姫が大勢出ましたが、一番きれいに見えたのが、今日の壇ノ浦で入水する直前の時子のアップだったのは、深キョンの底力を見せられた感があります。
あと、(たぶん)大木が倒れるときの音をSEにしての清盛の倒れ方も、これが主役の底力だな!と。

一年楽しかった。
50回短かった。
来週から『平清盛』の続きとしての『源頼朝』とか始まってもかまわんよ?
『北条義時』でもかまわんよ?